この記事で紹介すること
ここ最近、公私ともに非常にお世話になった先輩方がお若くして亡くなられるとともに、一緒に様々な仕事をしてきた同年代の友人が亡くなりました。こんなに短期間に、自分の近い方々が突然亡くなることもただただ衝撃でした。
あまりに近い方々の急な旅立ちに、死を悼むにはどうすれば良いのか、そもそも死を悼むとは何なのか、自分はどうしたいのか、今でも悩んでいます。そんなときふとパクユナさんの「歩み」や上野大樹さんの「ラブソング」を思い出し、ヒントをもらえたような気がしますので少し紹介します。
パクユナ「歩み」
Tiktokではよく聞いていたパクユナさんが、オリジナル曲として発表されているのが「歩み」という曲です。
この曲は、直接「死」という言葉は全くなく、ぱっと聞くと励ましてくれた友達への感謝の歌に聞こえます。
君は言ったよね 夢を見続けるより
諦める方がよっぽど怖いと
だからこの街で君に届くまで
いつまでも歌い続けるから
引用元:歩み/ 作詞作曲: パクユナ
しかし、素敵な曲だなと思っていたら、実は、亡くなられた親友との思いでを記事にした曲であることを朝日新聞の記事で知りました。
亡くなられた友人を想い、また、今実際シンガーソングライターとしての道を歩んでいることを伝えるために作った曲とのことです。ストレートな歌詞に、ハイトーンの澄んだ歌声。本当に友人に届きそうです。
上野大樹「ラブソング」
また、死を悼む曲としてすぐ思い浮かぶのは上野大樹さんの「ラブソング」です。「あの子は電車に飛び込んで~」というギョッとする歌詞から始まる曲です。
何故このような曲ができたのかについては、以下のインタビュー記事がありました。
この記事によると、「自分が電車に乗るタイミングで人身事故が起こったんですけど、その時周りを見渡したら携帯をいじっていたり、イライラしたりしている人ばかりで。何かすごく悲しいなぁって思ったんですよね。」とのことで、そのような体験がベースになっているのですね。
目を背けたくなくなることにもストレートに向き合い、逆にそれが癒しになるのは、森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」の「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」という歌詞を彷彿とさせますね。森山直太朗さんがこの歌を作ったのは「歌を作った動機は、表面的な人生の応援歌ではなく、死と向き合ったときに出てくる言葉を紡ぎたいと考えたから」だそうです(参考記事)。生きていることがつらい人がいるときに、死にたいという気持ちを否定せず、向き合い、あえて受け入れる、それが逆につらさを感じている人の癒しになるのだと思います。
自分に引き付けて考えたこと
さて、そんなことでパクユナさんの「歩み」や、上野大樹さんの「ラブソング」の背景を知り、色々と考えさせられました。
その方々が亡くなられた後も、自分の時間は止まらずに進んでいきます。仕事は発生し、家族と時間を過ごし、バタバタと日々が過ぎていきます。日常の生活の波に押し流されてしまいそうです。故人を想い続け、その存在に敬意を払い続けるためには、何かが必要なように思います。
そう思ったときに、このパクユナさんのように「曲にして友達への思いを昇華する」ということは、とても素敵だと思いました。前述の記事によると、パクユナさんは、「この曲の時は、親友が目の前にいるつもりで歌う。」そうです。
そして、上野大樹さんの「ラブソング」も、以前はギョッとしてしまいましたが、今聞くと本当に故人を悼む優しい歌詞が心に沁みてきます。
歌という形で故人の存在を多くの人に伝え、そして、心の中(歌)で故人とともに人生を歩む。まだ明確な形で答えが出ているわけではありませんが、そんな音楽の在り方はとてもしっくりきます。
最後に
もちろん悼み方は人それぞれですし、曲にすることはその一つだと思います。しかし、できれば自分も気持ちを音楽でも表現したいと思いましたし、曲にするか否かにかかわらず、このような在り方とても参考になりました。
辛いときにも支えてくれる音楽に深く感謝です。もし同様に悩んでいる方に少しでも癒しを届けられればうれしいなと思います。
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